デジタル時代にふと恋しくなる紙の注文書
先日、久しぶりにすき家に行ったときのことです。
席に着いて注文しようとタブレットを操作したところ、まさかの充電切れ。
画面は真っ暗で、どうにもなりません。店員さんを呼んで対応してもらいましたが、「ああ、こういうこともあるよな」と少し考えさせられました。
最近の飲食店では、タブレット注文やスマホ注文がすっかり定着しました。
便利で効率的なのは間違いありませんが、電池が無ければ何もできない、という弱点も抱えています。
また、タブレット注文やスマホ注文に不慣れな高齢の方にも優しくはありません。
そのとき頭に浮かんだのが、居酒屋でよく見かける紙の注文書の存在でした。
居酒屋に行くと、今でも紙と鉛筆で注文を書く店があります。
メニューを見て、ゆっくり相談しながら書いて、店員さんに渡す。ただそれだけなのに、不思議と安心感があります。
電源も通信も不要で、誰でもすぐに使える。かなり完成度の高い仕組みだと感じます。
そういえば、以前のサイゼリヤも紙の注文書でした。品番を書いて注文する、あの独特のスタイルです。
正直、当時は少し面倒に感じていましたが、今振り返ると妙に懐かしく思えてきます。
紙に書きながら「これも安いね」「もう一品いけるかも」と話していた時間も含めて、食事の体験だったのかもしれません。

紙の注文書は、効率ではデジタルに敵わない部分もあります。
しかし、書くという行為には、一拍置いて考える余白があります。会話が生まれたり、注文を見直したりする時間です。
その余白が、食事の楽しさにつながっている気もします。
環境面を考えると、紙の使い方には配慮が必要です。
ただ、目的を持って無駄なく使われる紙であれば、今でも十分に意味があります。
すき家のタブレットトラブルをきっかけに、サイゼリヤの昔の注文方法を思い出し、改めて紙の強さを実感しました。
デジタルと紙、どちらが正しいという話ではありません。
お店や場面に応じて使い分けることが大切なのだと思います。身近な注文書という紙から、これからの紙の役割を考えてみたいです。
by バイリンガル雀士



